・文亨進様を迎え第18回「七・一節」(東京・渋谷) ・特集:全国小学生教育者研修会
定価 : 150円(本体143円)
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◇ 文亨進様のメッセージ(7月1日 八王子教会)
食口の皆さん、こんにちは。(日本語で) 今朝は本部教会で第18回「七・一節」の行事を行いました。そのときに一つの例え話をしたのです。汽車が湖を越えていく橋に差しかかろうとしています。しかしその橋が崩れてしまっています。 運転手も乗客も、死ぬ運命に向かって走っていることに気づかずにいます。ある人が線路の分岐点に立っていました。その人がスイッチを切り替えると安全な道に行って、みんな生きることができます。すぐに切り替えなければいけないという瞬間、その人の小さな息子が、汽車が安全に生きることができる線路のほうに歩いてきているのを発見したのです。これは本当に神様の心情を物語る内容だと感じました。 スイッチを押せばこの人たちは助かる。しかしそのときには一人息子を失わなければならないという状況に置かれているのです。「七・一節」のみ言葉の中で真の父母様は、そのような犠牲的な場に立っていたと語られました。ところが、死の道に追いやったのに、子供が生きていたということを発見したとき、その喜びと心の解放はいかばかりでしょうか。
◇ 紙上説教 : 「摂理に込められた神の愛」 北福岡教区長 川畑平俊
「摂理」とは何でしょうか。国語辞典には以下のように書かれています。「キリスト教その他の宗教で、神または精霊が人の利益をおもんぱかって、世のことすべてを導き治めること」(『広辞苑』岩波書店)、「キリスト教で、この世の出来事がすべて神の予見と配慮に従って起こるとされること」(『大辞林』三省堂)。 これを読むと、摂理とは神様の意志であるということが分かります。これを原理的な面から見ると、アダムとエバが堕落してからは、人類に対する神様の救いの導きと言えるでしょう。またアダムとエバが救済されてからは、あるいは堕落以前の状態においては、神様の創造理想、あるいはそれを果たしていく過程であるといえるでしょう。勝利された天地人真の父母様は神様と一体になられたので、今、真の父母様が計画し、なさっていること自体が摂理と言えます。私たちがその摂理をすべて、十分に理解することはできませんが、それでも絶対服従でついていくことによって、私たちもその摂理の一端を担う群れとなることが できます。